沖縄を書すー中川とき彦(泰峯)の書作

書と随想


書・画 中川とき彦
『島の新聞』ときの書=象形文字の佐渡より

二つ亀(ふたつがめ)
高校を卒業して2、3年たった頃の夏。中学の同級生10人くらいで、車2台に分乗し海府めぐりをし、二つ亀(亀の形をした島)で泳いだ。そのときの海水の冷たさと、底まで見える透明な蒼い海に酔いしれたことを想い出す。


亀の形を表した文字。二つ亀なので「亀」を二つ書いてみました。

道遊の割戸(どうゆうのわれど)
相川金銀山の道遊の割戸を初めて見たのは小学校の遠足のときだった。山を真っ二つにするその威容に圧倒されたことを想い出す。金銀山の繁栄と衰退の歴史が、あの割れ目から叫んでくるような…。慶長期には青柳割戸と言われたと歴史書にある。
佐渡高校時代に、篠原という友だちの家が相川で「道遊」という旅館をやっており、一泊したことが懐かしい。彼は身長が高く、剣道の達人で、よく二人で練習した。医者になったが、数年前に他界したと聞いた。残念でならない。


異族の首を携えて、外に通ずる道(外族やその邪悪な霊に接触するところ)を進む意。その厳重な行為から、道は深遠な世界をいう語となった。


氏族の旗を立てて、外に旅することを示す。その意は、自在に行動し、移動するものを遊といい、もと神霊の遊行に関して用いた。神に仕える、神と共にある状態をさす語となった。

赤玉(あかだま)
子どもの頃、佐渡の赤玉石は真野御陵あたりで採れて、真野公園の売店で売られているものと思っていた。母の実家が近くにあり、いとこ達とうす暗い御陵の中に入ると山本修之助翁にギョロッと睨まれたことが甦ってくる。怖いところであった。真野の若宮遺跡の発掘作業に加わった小学生時代が懐かしい。
赤玉のもっとも品質のよいものが採れたという「赤玉」という集落を訪ねてみたいと思っている。


"大"(おおきい)と"火"でできている。大は人の正面形で、赤は人に火を加えている形である。火で人の罪科を祓うことにより赦免される意に、また、火が盛んに燃えている色から赤色の意がとられたという。


紐で玉(乳白色の石)を連結している形からできた。


書・画 中川とき彦
企業広報誌の連載より

古城(こじょう)
 沖縄の本部(もとぶ)半島、今帰仁城(なきじんぐすく)跡に立ち東シナ海を眺望する。薩摩藩・島津はここに上陸してわずか十日間で首里城を接収した。1609年。
 今帰仁城の石畳の道、誰もいない。いい匂いがする、と思ったら桜並木の葉っぱからだった。それほど強烈な自然の匂いが沖縄にはある。
 古城…紙面いっぱいに書いてみようと思った。南国にいるせいだろうか。古は神々の頭に似せて造った冠の形です。城は土をだんだんに盛り上げて築いた形です。

雲海(うんかい)
 沖縄へ時々訪れる。飛行機から見る雲は大雪原をすべっているようである。雲海という語句は夏の季語ではあるが、眼下に広がる雲は、氷雪の王城であったり、まっ白なふかふかのふとんであったり、私を楽しませてくれる。
 地上の沖縄はとてもあたたかいのに、東京に戻ってみたら雪がつもっててびっくりすることがある。東京は寒い2月。
 畳の上にあるのが座蒲団で、その上にあるのが楽といふ…詩人山之口貘さんの詩碑(与儀公園内にある)をみてきた。

響(ひびき)
沖縄を祖とする川田公子の太鼓の響が草月ホールにこだまする。このリサイタルを観つつ私は、もしもこれを書で表現するとしたら、書の世界と、太鼓の世界の共通点は何だろうかと想いをめぐらせていた。楽しい一瞬。
筆の毛にはいろんな動物の毛が使用されていて、その筆によって表現が変わってきたりします。この響は、竹筆といって筆先から筆管まで一本の竹で出来ているもので書いてみました。果たして響く作となったかどうか…。